『愛・地球博』じゃなく『逢・痴宮博』なら行く気になれるんだけど
コラムっぽいもの~夜の撃墜王キラきゅん、その場しのぎの正義感~
あっちこっちで「キラが不殺を破った」などと言われているが、よく考えてみたら劇中で一回も自分は不殺だなどと言っている記録はない。
「殺したくない」「撃たせたくない」とは言っているものの、それは「できれば」の領域であって自分が不殺とは明確に言及していない。
その証拠に↓
自分が悪だと定めたもの、自分と対等の強さを持ったものに関しては確実に相手の命を狙う攻撃をしている。
VSステラinデストロイの話だと、キラは『どうしようもないから』という理由で相手の命を奪っているようにも見える。
この話に関しては『コクピットは狙ってないから殺すつもりはない』とキラ厨は介護するが、コクピット真上のビーム発射寸前の発射口を貫いて殺すつもりは無かったはありえない。
それ以前にレール砲でデストロイのコクピットを狙って攻撃しているから不殺であるはずがない。
さらに、キラはシンとステラの関係をある程度理解してて攻撃してた節がある。
敵軍であるシンとステラが戦闘中に会話をするには「国際救難チャンネル」もしくは「全周波」で会話をしなけらばならない。
ニュートロンジャマー環境下であってもシンとステラが会話できたのなら近くにいたキラだって会話を傍受できているはずである。
つまりキラは分かっていてステラを殺したのだ
毎回毎回その場しのぎの正義感で動くキラは「できるだけ自分の手を汚さない」感じで戦い、必要とあれば殺意をもって相手を葬らんとする。
つまり、負債お気に入りキャラであるキラを不殺な感じで扱い人気を取り、必要なときは「不殺とは言ってない」という理由で不殺を破らせ、それを美化させて隠蔽する。
嫁にとって絶対の正義であるキラにとっては必要な設定かもしれないが、ガンダムSEEDという作品の物語のどこにこの設定が必要なのだろうか……?
あっちこっちで「キラが不殺を破った」などと言われているが、よく考えてみたら劇中で一回も自分は不殺だなどと言っている記録はない。
「殺したくない」「撃たせたくない」とは言っているものの、それは「できれば」の領域であって自分が不殺とは明確に言及していない。
その証拠に↓
自分が悪だと定めたもの、自分と対等の強さを持ったものに関しては確実に相手の命を狙う攻撃をしている。
VSステラinデストロイの話だと、キラは『どうしようもないから』という理由で相手の命を奪っているようにも見える。
この話に関しては『コクピットは狙ってないから殺すつもりはない』とキラ厨は介護するが、コクピット真上のビーム発射寸前の発射口を貫いて殺すつもりは無かったはありえない。
それ以前にレール砲でデストロイのコクピットを狙って攻撃しているから不殺であるはずがない。
さらに、キラはシンとステラの関係をある程度理解してて攻撃してた節がある。
敵軍であるシンとステラが戦闘中に会話をするには「国際救難チャンネル」もしくは「全周波」で会話をしなけらばならない。
ニュートロンジャマー環境下であってもシンとステラが会話できたのなら近くにいたキラだって会話を傍受できているはずである。
つまりキラは分かっていてステラを殺したのだ
毎回毎回その場しのぎの正義感で動くキラは「できるだけ自分の手を汚さない」感じで戦い、必要とあれば殺意をもって相手を葬らんとする。
つまり、負債お気に入りキャラであるキラを不殺な感じで扱い人気を取り、必要なときは「不殺とは言ってない」という理由で不殺を破らせ、それを美化させて隠蔽する。
嫁にとって絶対の正義であるキラにとっては必要な設定かもしれないが、ガンダムSEEDという作品の物語のどこにこの設定が必要なのだろうか……?